ジンクホワイトの注目ポイント

Winsor & Newtonのアーカイブにあるチャイニーズホワイトのポスター

1780年代初期、油彩画家に広く使用されていた有毒な鉛の白に代わるより安全な選択肢として、ジンクホワイト(亜鉛の白)が初めて開発されました。 

 

1782年、フランスの化学者 ルイ=ベルナール・ギトン・ド・モルボーとディジョン・アカデミーのムッシュー・クルトワは、2年間にわたり代替の白色を探す調査を行い、酸化亜鉛を発見しました。残念ながらこのジンクホワイトは鉛の白よりはるかに高価となってしまうことが分かったため、調査は失速しました。

しかし、このジンクホワイトは、50年後の1834年、ウィンザー&ニュートンが設立してからわずか2年後に、「チャイニーズホワイト」(当時ヨーロッパで人気のあった磁器の種類から名付けられた)として焼成酸化亜鉛を発売し、水彩画として普及することになります。この白は高温で加熱され、他の白よりも濃く、不透明なものでした。

 

ウィンザー&ニュートンは、初めて信頼できる水彩画用の不透明な白を開発したのです。需要の高まりによりこの新会社は大成功を収め、所在地のロンドン中心部のラスボーンプレイスにはこの新色を買い求める買い物客が殺到し、しばしば馬車が通れなかったと言われています。 

Rathbone Place, London  ラスボーンプレイス、ロンドン

この新しい白はジョン・ラスキンによって盛んに使用され、彼は「The Elements of Drawing」(1857年)の中で下記の言葉でこの色を宣伝しました。

 

「色彩を淡くするために混ぜるには、大量の水の代わりに、よく挽いたチャイニーズホワイトを使え。そうすれば、塊をより静かに形作ることができ、より簡単に色を使うことができる。紙をそれほど湿らせることもなく、絶えず描き続けることができ、過ぎ去る雲の形や他の儚い光、繊細な形の光を、時間をかけずに得られる唯一の方法だ。」

 

ウィンザー&ニュートンのチャイニーズホワイトは、有名な科学者マイケル・ファラデーによってテストされ、お墨付きをもらったという栄誉もありました。ファラデー(1791-1867)は、電磁気学、磁場、ファラデーケージなどの発見で知られています。実際、アルバート・アインシュタインの壁には、アイザック・ニュートンや他の著名な思想家の隣にファラデーの写真が飾られていたそうです。ファラデーは、磁気の研究と並行して、1851年の万国博覧会の開催にも協力し、展示物の計画や審査に携わりました。万国博覧会は、水晶宮博覧会とも呼ばれ、文化や産業を展示する一連の万国博覧会の最初のものでした。 出展者の1人であるウィンザー&ニュートンは、芸術家用の絵具を競う唯一の賞メダルを獲得しています。芸術や文化への関心は、ナショナル・ギャラリーのアドバイザーとしても発揮され、美術品の洗浄や保護に関するアドバイスを行い、コレクションの保存に貢献することができました。

 

酸化亜鉛は、ジンクホワイト(水彩画ではチャイニーズホワイト)になるまでの過程で、「タッティ」(ペルシャ語で煙を意味する)、「亜鉛華」、「賢者の羊毛 」など、錬金術にちなんだ多くの名称を与えられてきました。これらは、酸化亜鉛を窯で焼いたときに出る煙と、その煙をイメージして名付けられたものです。

Winsor & Newton Chinese White watercolour

現在、ジンクホワイトは色付けに最適な、冷たく半透明で堅牢な白色として油絵具に使用されています。ジンクホワイトを使った色調は、他のホワイトと比較して彩度が保たれ、より繊細な仕上がりが可能です。また、アクリル絵具ではミキシングホワイト(ジンクホワイトとチタンの混合物)として知られ、油絵具の場合と同様に、より繊細な色調を表現することができます。最後に、ガッシュや水彩絵の具としても利用でき、後者は現在でも「チャイニーズホワイト」と名付けられています。